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能登半島地震が「ブリ地震」と呼ばれる理由

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金沢在住の鮮魚アドバイザーのリッキーです。

能登半島でマグニチュード7.6震度7の大地震が起きてから5日目ということでこの記事を書いています。

今回起こった大地震の大きさが日が経つにつれ明らかになってきています。

被害も甚大で海沿いにも津波が押し寄せ家屋や車などが流されたという報道もされています。

まずはこの地震で亡くなった方とその家族の方々に謹んで哀悼の意を申し上げます。

心中お察すると言葉にできないほど深い悲しみと悔しい気持ちでいっぱいです。

また安否確認できてない方もいらっしゃるということで非常に心配です。

これだけの被害の大きさに我々も正直どうしていいかわからない状況です。

それほど今回の地震は日本中の人たちの生活に大きな影響を及ぼす結果となったといえるでしょう。

今は目の前の状況をなんとか対応していくことしかないと思っています。

ただ、今回どうしてもお伝えしたいことがあるので記事を書かせていただきました。

今回はまさに「ブリ地震」だったということです。

地震の起こる数日前から天然ブリが異常なほどに能登半島に湧いていたという事実です。

それも能登の一部海域に異常なほど集中していたのです。

今回被災したまさにその海域に天然ブリが密集していたです。

とにかく今までこれほど天然ブリが湧いていたことはこちらでは経験ありません。

どういうでしょうか?

地震と直接因果関係を結びつけるつもりはありませんがそれが今回の地震の特徴として挙げられる事実だったと思います。

とにかく地震直前で天然ブリの水揚げが異常だった事実を報告しなければならないと思います。

それも誰もがわかる明確な形で起こっていたのが非常に印象的でした。

ただこのことをおそらくマスコミ含め誰も取り上げることはないように思います。

今思えば事前に異常事態であることの認識予測をすることができたのかもしれません。

もちろん何のエビデンスもなく軽々しく予知予測を吹聴するつもりもありません。

ただその事実に誰も気づいてないなら後世の人たちのためにもここで報告し記録に残しておかなければならないと思いました。

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震災当日の状況

震災当日、金沢市内の駐車場に車を停めていた私は突然の大きな揺れを感じながら率直にこれはヤバイと感じました。

大きな揺れがしかも数回も続いたのです。

最初のそれは数秒で終わりました。

ところがその次がありました。

それがかなり大きかったことを今でも覚えています。

横揺れの後に縦揺れしていました。

すぐに家へ戻り家族の安否を確認してそれから丸一日自宅で待機していました。

すぐに逃げられるよう上着を着たまま寝ることにしました。

その間震災状況のTV報道に家族全員グギ付でした。

最初TV報道に映し出されたのは輪島の火事の様子と津波が来るから逃げろ!というアナウンサーの上擦った声でした。

まだその時には具体的な被害の状況も被災の様子もわかりませんでした。

ただこの後金沢市内の海沿いの町の人たちが急いで避難していたということは後で知りました。

本当に最初の1日目は何が起こるのかわからない不安でいっぱいでした。

とにかく家族で固まって家で待機するしかなかったです。

2日目は被害の状況がよくわからなかった

2日目は余震は相変わらず続いていましたがとりあえず金沢市内は何事もなかったかのように落ち着きを取り戻していました。

この段階ではまだ輪島などの能登方面が大変というレベルでしか情報はありませんでした。

輪島の朝市通り付近の火事が広がって範囲が大きくなっているのがTV報道でわかりました。

道に亀裂が入ったりして消防車がたどり着けないということでした。

その他の情報は取りにくい状況でした。

3日ほど経って被害の状況が明らかに

1月の3日になると能登半島各地の被害の様子が徐々にTVに映し出されるようになって能登の方面に壊滅的な被害があるということを知りました。

珠洲方面もヤバイという報道が少しづつ増えていきました。

ただ他の地域の情報や津波の被害の大きさはまだ報道されてなかったように思います。

ただ被災人たちにとってはまさに今目の前の状況を生き抜かなければいけない状況だったのです。

4日目になると珠洲方面の被害と津波の被害が明らかに

4日日目になると能登半島全体の被害の報告がいろんなメディアでなされるようになりました。

特にTikTokやXで映し出される映像は想像を絶するもので衝撃的でした。

これが日本か能登の映像で間違いないのか!と思ったくらいです。

この頃から港の情報も入ってきて能登の主要な港が壊滅的被害ということで絶句したのを覚えています。

というのもこの時期主要になる地物のタラやブリはほとんど能登からくるのです。

それも今回被害の大きかった輪島と珠洲の飯田の2つがタラの主要産地なのです。

ただそもそも漁師が魚を獲りに行ける状況ではないということも理解しました。

大丈夫だと思っていた七尾港も被害が大きくて市場が開けないということでした。

5日目になるといろんな被害がわかってきた

5日目になると行方不明者や連絡がつかない人たちの安否確認の報道がなされるよになりました。

倒壊した建物の中にいるのかそれとも単に電波が悪くて連絡つかないだけなのか気が気でないような状況でした。

それとともに今回の大地震のことも専門家から解説されるようになりました。

とにかく今回の地震は震源が非常に大きくしかも一つでなく数多くの震源によって引き起こされたものということでした。

またこれから再度大きな地震も来るかもしれないので予断を許さない状況とも解説されていました。

もしかしたら大きな地震が来るのではないかと真剣に覚悟を決めているそんな状況です。

地震前天然ブリの動きが異常だった

今思えば12月に入ってからの天然ブリの動きもおかしかったです。

正解にいうと春先からおかしかったです。

天然ブリの水揚げ数が多く本当に今年(2023年)は異常だと思いました。

例年、200本、300本上がれば多いところ、12月入ってから毎日のように1,200本、1,600本、少なくて800本と異常なくらい天然ブリが水揚げされていました。

通常12月のお歳暮時期は天然ブリが青天井で相場が上がるというのが通例です。

キロ単価でも買いでK3,000円とか高い時はk10,000円ということもあるくらいなのです。

10kgのブリなら10万円です。

それもよくあることです。

それが15日あたりでもk1,000円を割る日もあったりしていました。

私たちも2万円前後で10kg近い天然ブリを売ってました。

それだけ天然ブリが湧いていたのです。

しかも能登だけに湧いていたのです。

それに対して近くの佐渡には水揚げがほとんどなくて当時から市場関係者の間ではおかしいと言われてました。

能登のまさに今回被害の大きかった珠洲や能都町にブリが集中していたのです。

今考えればそれもおかしな話だったのです。

佐渡に向かわずに能都町に天然ブリが集中するんですから絶対におかしいと思うのです。

天然ブリが何かを察知して起こした行動だったようにも思えて仕方ないのです。

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地震前、天然ブリ以外の魚の動きもおかしいかった

もう一ついうなら天然ブリ以外の魚の動きも変でした。

能登のタラも年内何回か揚がるはずなのに今年1、2回ほどしかなかったです。

それも12月最初の方と最後の数回だけでした。

それも少ない量でした。

例年後半に何回か水揚げがあるはずなのにおかしいなと思っていましいた。

タラが全く獲れてなかったです。

あと、温暖化のせいかなと思っていましたが、ハタハタや金沢で絶大な人気を誇るアカラバチメも全く市場に出てこなかったです。

その他いつもあるはずの魚が何種類か姿を見ないということがありました。

それをそのまま地震に結びつけるのはどうかと思いますが、明らかに例年と違う水揚げ状況だったことは間違いありません。

ブリ地震と呼ばれる理由

能登での天然ブリの異常発生が今回の大地震となんらかの関係があるとどうしても思ってしまうのです。

もちろん私は学者でもなんでもないですから、ただの魚屋のたわごとに過ぎないかもしれません。

しかしブリが何かを感じ取っての行動に思えるのです。

天然ブリが地震を感じ取れるとしたらすごいことではないでしょうか!

まさに今回の大地震を「ブリ地震」と呼ぶのも毎日魚の動きを追っかけている者達とっては当然のことなのです。

これからこのテーマを研究してくれる人達へのメッセージも込めて、

今回の大地震前の天然ブリの動きは明らかに異常だったよ!

と言い残して置きたいです。

能登半島地震をブリ地震と呼ぶのはそんな理由があるのです。

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まとめ

早く通常に戻ればいいと思います。

しかし現実はまだまだそれを許してくれそうにありません。

能登のカキも、能登のブリも、能登のタラも、手に入る当てがありません。

そもそも能登の漁師さんたちもまた海に出れるのでしょうか?

それどころか住む場所もなくこれからの生活の不安に途方に暮れている人たちのこれからはどうなるのでしょうか?

能登に住む人たちの日常生活がなくなってしまった現実に目を向けなければなりません。

6日に珠洲の実家にたまたま帰省していて被災した同僚が金沢にようやく帰ってきて言った言葉が印象的でした。

「能登はあんなひどい状況で大変な思いをしているのにこっちの方の人達は普通に生活できていつも通りにいられるのを見たら複雑な思いがした。」

率直な気持ちを表しているんだと思います。

これは神戸の大震災の時もよく言われていたことでした。

もともと人は生まれながらにして平等ではないのかもしれません。

人それぞれの運命も違っていてそれを粛々と受け入れていくしかないのかもしれません。

ただ明日は必ずやってきます。

この苦境をどうやって乗り越えていくのかこれからが正念場です。

<終わり>

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リッキー
鮮魚アドバイザー・刺身インストラクター・現役水産バイヤー 30年間培った鮮魚の販売、加工、管理技術を初心者に向けてわかりやすく解説。 なかなか教えてくれない秘技裏技も惜しげもなく公開。 一般向けにはみんなが笑顔になるお刺身の作り方ご案内。 すべてが魚食好きの人のために!日夜リアル、WEBで奮闘しています。 有限会社西村研究室(水産コンサルタント事務所)所属