今世間を騒がせている熊本産産地偽装について、日々魚を扱うプロ専門家という視点で考えてみました。
悪いのは誰?
直接産地を偽った業者が悪いことは間違いないはずです。
しかし、漁協や県はまったく無関係といえるのでしょうか?
長年見過ごしていたことについての社会的責任は否定できないと思います。
漁業にかかわる人たちの生活を守りたいのもわからないではありません。
しかし、偽装してまでそれを守る必要があるのでしょうか?
その意味で今回熊本県知事のとった判断は批判されたとしても理解できます。
それはそれで事実が解明されていくのでしょう
ただ残念ながらおそらく原因がはっきりしないままうやむやにされていく部分もあるのかなあと思っています。
一般消費者に問題はないの?
私は一般消費者の極端な国産志向にも少し懸念を持っています。
なんでもかんでも国産でないといけないという意識はややもするとここ具体的な事柄に対して目を覆うことになるという危険をはらんでいるといえるからです。
ただこれは自己保存本能で危険を回避したい本能がはたらいていると考えるのでやむを得ないと思います。
安易に安い価格を求める姿勢も批難できません。
水が低いほうに流れることのように自然の摂理と同じことですから。
世間の無知、無関心
問題の本質は世間の無知、無関心にあるとおもいます。
国産のあさりってこんなにあるの?という疑問をだれとしてもってなかった、あるいは知ってて問題視してこなかったことに大きな問題があるとおもいます。
誰かがメッセージを発していたはずです。
一部の人以外は無関心だったと思います。
それは同時にマスコミの情報提供の伝え方の問題でもあるといえます。
今批判報道するマスコミも何を今更という感じに思っている人いると思います。
既に何年も前から情報提供はあったはずですから遅きに失した感が強いです。
さらにいうと、
大量消費を誘発して価格訴求の先頭を走っている大手スーパーも無責任すぎると思います。
ある面ではサスティナビリティなどというカッコいい派手な言葉を発したりしています。
しかしその前に今回のきな臭い泥臭い問題について問題提起するくらいの社会的役割を果たしていいんじゃないかと思います。
出どころ怪しいものは使いません宣言くらいしたらいいと思います。
あれだけ大きな組織であればうっすらとでも情報入りはしないのでしょうか。
以前大々的に宣伝して販売していたパンガシウスにしても「これはナマズです。でも美味しいですよ」と消費者にわかるように大きく表示して売るべきでした。
しかし実際の売場では大事な部分がわかりにくかったように思います。
素性もハッキリさせずに食糧問題を解決しましょういうところだけが印象的でした。
結局自己都合ではないかと説得力なかったのを思い出しました。
話はズレましたが、
つまり、今回の場合でもそうですが純粋な国産あさりの生産量が把握できていなかったこと、国産あさりの流通量が多いのではないかという声があったはずなのにそれを公の場に晒せなかったことが大問題であり問題の本質なのです。
こういった声と真摯に向き合ってこなかったこと自体が一番の罪悪だったと考えるわけです。
この問題を提起をした機関
この問題は同じアサリを扱う愛知県の報道機関から提起されました。
なかなか参考になるのでご覧ください。
まとめ
こういう話は水産業界いくらでもあります。
ここでは言いませんが、似たような煙はところどころで立っています。
まずは問題があるという声が世間にキャッチされ広がるような流れを作らなければいけないと思います。
そうでないと勇気を持って臨んだ情報提供者がバカをみます。
例の労働組合の問題のときのようにあとで私刑のようなペナルティをうけるようなら誰も問題提起できなくなってしまいます。
そんな社会、誰も望んでいないと思います。
情報自体を誰かの利害のためにうやむやにできないよう我々も自分たちの言葉で貢献できたらたらいいと思います。
あと、今回の問題は地方の闇、しがらみと生活の問題もあると思っています。
かなり大きい根深い問題と認識しています。
これは別の機会にやりましょう。
マスコミの動きが本質までたどり着いてくれるか注視していきたいと思います。
<終わり>
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