こんにちは、「さかなのさ」リッキーです。
父が某CGC系スーパーマーケットの経営をしていた関係で昭和40年代から新潟周辺のスーパーの鮮魚売場を見てきました。
お休みのお出かけがスーパーマーケットだったんですね。
それも鮮魚売場が中心でした。
おそらく店舗視察を兼ねていたんですね。
でも子供心に父とのお出かけが楽しみでした。
そこからいえばもう50年近くスーパーマーケットの売場を見てきていることになります。
1940年代のスーパーマーケット(新潟)の状況
私は生まれが新潟県柏崎市でその後新潟見附市に移り住みました。
なので新潟中越地区を中心に店舗視察していたと思います。
その中でもいくつものスーパーマーケットの栄枯趨勢を見てきました。
まず昭和40年代当時はスーパーマーケットの創世記で柏崎でイシザキさんが頑張っておられました。
父もお世話になっていたようです。
町の鮮魚店もまだ沢山あった時代。
昭和30年代創業のスーパーが多いところを見るとやはり40年代から一気に増え始めたのだと思います。
米山にあったスーパー青山さんが当時としてはとても先端のお店だったような気がします。
そのお店に当時大人気のインベーダーゲームがありそれをするのが楽しみでよく買い物について行きました。
新潟市内は自宅から距離があるのですがよくダイエーさんに行っていました。
当時はスーパーのカリスマリーダーの中内功さんのダイエーが全盛を誇っていた時代。
古町のバスターミナルのレインボータワーがとても印象的な建物でそれを乗るのがとても楽しみでした。
ダイエーはその建物内にあったと記憶しています。
あの当時新潟のダイエーが全国1番の売上高だった時代です。
スーパーマーケットでいえば当時はキューピットさん、スーパー堀川さんが勢いありました。
その後ウオロクさんが勢いで来てた流れだと思います。
柏崎ではコタヤさん(後に原信に吸収)が全盛を誇っていました。
小千谷では福屋さん(後に原信に吸収)というスーパーが有名でした。
長岡でいうとやはり原信さんでしたが当時はまだスーパーつちださんなどのローカルスーパーがたくさんあったような気がします。
後々パワーズフジミさんも元気だった記憶があります。
お隣の見附市には父がいたマルイが7店舗ほどでやっていたと思います。
上越地区のお酒のチェレンジャーさんも活躍されていた時代。
さらに上越で言うとナルスさん、イチコさんなどが活躍されまさに群雄割拠の時代でしたね。
ウイングは業界誌でもとってももてはやされていました。
みなさん父が交流させていただいた企業さんでした。
チェーンストアの神様 渥美俊一というカリスマがいた時代
当時はチェーストア理論の神様 渥美俊一先生がご健在で精力的に活動されていました。
現在活躍しているほとんどの企業が渥美先生の指導を受けているのではないでしょうか。
当時からすごい人だときかされていました。
父も渥美先生の熱心な信者で箱根の合宿の話をよくしてくれました。
相当厳しい内容のだったようで、それもそれなりに名の通った企業のトップがしごかれて涙を流すくらいというので当時から恐れられていたようです。
父もファーストリティリングの柳井さんとか同部屋になって色々話す機会があったとのことです。
原信さん、コメリさんが特に優等生で、しっかりチェーンストアの理論を勉強されていたというような話を聞かされました。
バブル崩壊を境に環境が一変
高度経済成長からバブルに向かう間にスーパーマーケットは大きく変化していきました。
大店舗小売法で抑圧されていたのがその後の規制緩和の流れもあり、スーパーマーケットも次々に出店するし、どんどんその規模自体を大きくしていきました。
したがって1980年代はスーパーマーケットにとってもとても華やかな時代でした。
海外研修、視察もたくさんあり、いろんなコンサルタントも出てきて業界的にもとても潤った時代だったと思います。
精肉では太田先生、鮮魚では西村先生など今のコンサルタントとはレベルの違った存在でした。
永遠に続くかと思ったスーパーマーケットの繁栄にもヒタヒタ終わりが近づいてきます。
1990年代前半のバブル崩壊です。
バブル崩壊後のスーパーマーケット
バブル終演後百貨店の凋落が著しかったです。
それと、GMSがひどい状況でした。
マイカル(ニチイ)、長崎屋、西友、ユニーなどがかつての雄たちがそれぞれ業績を下げていきました。
一番印象的だったのがダイエー帝国の崩壊でした。
中内功さんが苦渋の選択をしている様子をTV越しに見ましたが非常にインパクト強かったのを覚えています。
それに対してセブン&Iグループが業績も順調で利益をしっかり残していたと思います。
特にヨークベニマルはすごかった記憶があります。
イオン当時のジャスコも健在でしたがあまりパッとしてない印象です。
ただ後々成長を見るとすごいもんだなと感心するばかりです。
確か岡田社長も渥美先生の優秀な門下生だっと聞いています。
まとめ
当時の様子を知る人は少なくなったと思います。
というよりそういった視点で見ている人自体少ないはずです。
父も亡くなり私の記憶も少しずつ劣化していっています。
時代考証とまではいきませんが少なくともこの業界にいる限りスーパーの歩みはしっかり残していきたいと思います。
昔の写真を見ると母が他のスーパーの社長夫人たちと旅行に行って楽しそうにしている様子が残っています。
それも大切な思い出になると思うので残しておきたいともいます。
※記事内容がざっくりとしていてすみません。過去の画像と資料見ながら精度を高めていく予定です。
<終わり>
コメントを残す