最近ネットニュースで「調理定年」という目新しいワードがところどころで散見されるようになりました。
「調理定年」ってなんのこっちゃということですね。
なんとなく意味はわかるのですがどういう使い方するのでしょう?
我々生鮮食品小売を生業として素材を提供している者にとっては非常に気になるわけです。
ということで今回「調理定年」というトレンドワードに着目しつつ、消費者の「魚離れ」にどう影響するかみていきたいと思います。
目次
調理定年とは
調理定年というのは主婦(主夫)が家族の食事を準備する必要がなくなった状態を指します。
子供達も大きくなり独り立ちして子育ての必要がなくなり、家族の食事を準備する義務がなくなって解放された状態です。
パートナーについては勝手にやったらといった感じでしょうか。
とりあえず家族のために朝晩のご飯を作らなくても社会的に許される状態です。
別に特別な法制度ではありませんが子供(被保護者)に食事を与える法的義務は実際あるのでやはり調理義務者なんだと思います。
定年ということは単に家族の成長という目的を達成し社会的義務を全うし、調理義務者にとっては一定の役割を終えた状態ということです。
調理定年と言われる社会的背景
「調理定年」というワードは今まであまり使われることがなかったと思います。
それがここにきて使われるようになった背景には少子化が想像以上に進んでいるという点とスーパー、コンビニのミルソリューション型商品が定着してきている点があると思われます。
子供が少なくなった分、たくさんお料理を作る必要がなくなりました。
またコンビニやスーパーでほぼ出来合いに近い半製品(ミールソリューション化)が充実してきています。調理済み半製品、即食系の商品、さらには惣菜そのもので間に合わせようという人が増えている現状があります。
少人数の料理をわざわざ台所に立って料理する必要も少なくなってきているわけです。
まさに調理義務から解放を促すかのような世の中の流れができつつあるのです。
調理定年というワードの影響
そこにきて「調理定年」というワードが世の中に出回り始めたということです。
「調理定年」というワードは非常にインパクトある世の中を変えるほど力を持った言葉だと思います。
このワードが世間で定着すると調理義務者が朝晩の食事の準備をしなくても引け目を感じなくてもよくなります。
いってみればこの言葉があることによって毎日晩御飯の準備に苦労していた主婦主夫が食事を作らなくても許されるという社会的地位を得られるのです。
食事を作ることで大変な思いをしていた主婦主夫は絶大な解放感を得ることになるでしょう。
食事を作らなくても安心していられるのです。
それだけ食事を作る人の精神的なプレッシャーは大きかったということです。
それは料理をしなくなる人の数も増えることを意味します。
我々生鮮小売りに携わる者にとっても戦々恐々の事態といえるでしょう。
調理定年は魚離れを加速させるのか?
では「調理定年」は魚離れを加速させるのでしょうか?
「調理定年」化が進むと我々魚屋にとって由々しき自体となるのでしょうか?
確かに調理しなくなると魚離れは加速すると思われます。
これはすでにやむを得ない事実と思います。
ただそれ以前にオール電化が普及し始めたころあたりから魚離れはすでに加速してきているという認識があります。
部屋の中にニオイがこもる焼魚を自宅でしたがらないというのを魚屋の現場でも肌で感じていたところです。
「調理定年」という言葉が定着すればその傾向はさらに加速するように感じます。
その意味で鮮魚店にとってはこのワードはあまり世間に定着してほしくないといえるでしょう。
調理定年は魚屋をダメにする?
調理定年というワードが定着すると魚は売れなくなるのでしょうか?
魚屋はつぶれてしまうのでしょうか?
結論からいうとそういうこともあると思っています。
元々魚屋商売はダウントレンドの商売であるというのは前々から感じてきていました。
調理定年というワードがさらにスーパーを含めた鮮魚商売を難しくしていくようにに正直思います。
ヤバいといえばヤバいです。
調理定年によるダメージを乗り越える
調理定年という言葉が定着するとヤバいということですが、
このまま魚屋、スーパーの鮮魚部門を続けてていいのでしょうか?
何か対応が必要でしょうか?
この点、私自身は全く心配はしていません。
鮮魚の需要は一定の範囲で継続的に存在し続けると考えるからです。
またそれは全体での傾向でしかないと思います。
確かに競争力のない魚屋は生き残っていけないのかもしれません。
それはすでに始まっていた傾向です。
旧態依然の魚屋やスーパーの鮮魚部門であればそれは地域に必要とされないように思います。
しかしながら、個性を持った魅力のある魚屋、鮮魚部門であればはしっかり生き残っていけると確信しています。
要は社会的に必要とされるかどうかです。
いい鮮魚を求める人がこの日本からいなくなるとは絶対に考えられません。
地方の海に近いところではまだまだ需要は大きいと思います。
逆に全体の数が少なくなる分そういうちゃんとしたお店に集中していくと思っています。
そういう店になればいいだけです。
調理定年化が進んでも生き残れる店
ではどのようなお店になるべきでしょうか?
簡潔にいうとその地域に求められる魚屋鮮魚売場を目指すべきです。
ちょっと抽象的ですがまさにこれです。
求められるものを提供するだけです。
ただ鮮魚については地域の需要特性は様々なので難しいわけです。
それをどう捉えられるかが商売のキーになるといえます。
で、逆にそれさえ捉えられれば末長く継続できる事業が確立されるわけです。
実際私はこれをしっかり捉えることで数々のお店をV字回復させてきました。
今魚屋で一定の評価を得たりすればちょっとやそっとで競合は敵いません。
大手にも負けない個性でその地域の支持を得られるのです。
ただみなさんポイントがズレるわけです。
表面上の数字しか見てないから余計に難しくしてしまうのです。
ただその限界を突破したアカツキにはブルーオーシャンが待っているということでもあります。
解決の糸口はこの記事にあります。
どうしても鮮魚、魚屋にこだわりたい人はぜひご覧ください。
最後に
「調理定年」というワードは本当に強烈な印象を受けました。
わかりやすくイメージしやすいワードなのでこれから世間に定着していくように思います。
もしかして世の中を変える力がある言葉かもしれないとも思いました。
みんな言葉に影響受けますから。
食品小売業に携わる人たちが戦々恐々としかねないこのワード。
これからどんな展開になっていくのかこれからも注視していきたいと思います。
<終わり>
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